世界遺産紀州の山川

世界遺産の熊野古道叉真言宗総本山の高野山
その山の殆どは護摩壇山(標高1370m)を頂点として東.西.南にと広がっています東に下れば十津川に至り南西の行き着く所は全て海です。
山の産業は主には林業ですが其の林業も外国材に比べ生産コストが高くつくためにあまり良く有りません昭和20年代に植林をした杉.檜等が主な木材です。.
叉其の時代には細い谷川に沿って小さな田畑が開墾され
里山と言う風景を何処の集落でも見ることが出来ました。

今は其の殆どが見る事が出来ません植林をしたり自然のままに放置された所.先人が石を積山裾をけずって.作り上げた其の耕地.小川により浸食された石垣は崩れ落ちた所.植林で大木が生茂った所.山の土砂が崩れ落ち埋まってしまった所.その昔の風景は有りません。
平成十九年現在今団魂と言われる人たちが昭和30年頃からの高度成長の波に乗り殆ど人が都会に働きに村を出て行きました.叉残された人たちも近くの町工場又24時間稼動の大工場等に働きに出かけました。
山の小さな集落に工場の送迎バスが毎日きました山の中の小さな田んぼで畑で.農作物を作っても何ほどの収入にもなりません。

工場に行けば確実にお金になります(現金)誰もが小さな
里山の棚田を構っている間が無くなりました.あの田んぼはどの様になっているのだろ心にはその様な気がかりが.有りながらも外の仕事の事で他には手が回りません。
少し落ち着き田んぼを畑を見に行ったときはもう其処は荒れ野.雑草が生え茂り叉水を引いていた水路も壊れて無くなって叉作物を作るにも無理な話.でも先祖の土地を手放すわけには行きません木でも植えようか?

大半は植林されました.学校を卒業した誰もが都会に憧れた時代. 町に行って真面目に働けば何でも手に入る.戦後(第二次世界大戦)の地方の生活と言えば食糧は薩摩芋.麦.各畑で取れる野菜類だけ.肉.魚類は正月と祭り以外はまったくと言ってよいぐらい食べられなかった時代。町に行って働きさえすれば何でも
好きなものが食べられる.好きな洋服を着ることが出来る.まるで夢のような世界です。
今このような時代になり(2007年現代)昔の田舎を作ろう.田舎を取り戻そう色々な試みが始まっていますが.そんなに簡単には行かないのが現状です.それでも山に行けば木があります川に行けば水が有ります。

このように手入れのされた里山は少なくなりつつあります
下にあります写真この場所にも昔は里山がありました小さな平地には米や麦が作られました雀やカラスも沢山居て 山の際や畦には収穫時期になると 鳥を脅す かかし等がいろいろ有りました。
米の収穫期には山には アケビや クリ キノコ色々な秋の味覚がたくさんありましたその
そんなに苦労することなく手にすることが出来たものです。
またその土地での名前の付いた柿の実も欠かすことの出来ない秋の味覚でした。
田んぼの畦一面に彼岸花が咲き誇る中 カマ(稲刈りがま)で稲を刈り取り手で束ねて稲干し用の竿に掛ける
大変な重労働です 花が咲き自然の味覚が有り 何といっても空気が最高です でも
当時その作業に従事した人たちに聞けば あんな苦労はもう二度としたくないその様に言うかもしれない?

里山を守る
それは大変なことです。
私たちが里山を見た時にきれいな自然だと思いがちですが里山は決して自然では有りません里山は字の如く
里があっての山です人が居なければ里は存在しません.里山はその地に住む人々が一生懸命作り上げた芸術と言っても過言ではないと思います。遠い昔 前人未踏の地に人が入り山を切り開き谷川の水を導き農作物を作り段々とその耕地を増やしていったのだと思われます。

大変な苦労です現在の様な機械は有りません木を倒すにしても岩を起こすにしても全部人力です
今の時代は殆どの機械が揃っています 木を倒すチエンソー 草刈り機 耕耘機その他色々有りますがその様な機械を持ってしても大変なことです 第一その様な機械類を購入する資金が生み出せません
林業では木材が価格が安く伐採をして出荷する費用も出ない様な状態で また農作物にしても山の段々畑ややに側に沿った細長い水田や棚田と呼ばれるような所では沢山の田畑が並んで居ますが耕地その物が狭くて
農作物を作って生活設計を立てることはとても困難なことです。

里山を守り里やまで農作物を作っても生活をして行く事ができないけれども何処かに働きに行きその合間に
農作業をする家庭菜園なら何とか出来るかもしれませんが里山を守って行くと言うようなことは出来ません。
夏場にもなると雑草は刈り取って三日もすればもう生えてくる始末 作物つくりよりもその他の雑用で一日たりとも休む間がないのです 本当に里山を守り後世にの残そとするなら その様な里やまでとれた作物は市場価格に
里山価格を上乗せするとか
皆で里山税を払って里山を守って下さる人たちに還元をして里山で生活を出来うる様にしなければもう
何年かすれば日本の何所に行っても里山なんか見ることができないと思います。
植林された水田 
今は見る影も無いですがこの付近は皆 水田でした
植林された水田 沢ガニとかハイじゃこ(小さな魚)いろいろいました
人の手が入らなくなった今ほとんど見かけることがありません
水田用水源
小川の両岸にはタンポポ等草花が咲き誇っていた
        
橋杭の弁慶さん   和歌山の海      橋杭の写真     馬鹿な話