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橋杭岩弁慶伝説 橋杭の弁慶さん串本町の橋杭岩に行けば弁慶さんが居る
橋杭岩の中ほどに大きなどっしりとした岩と.少し細めの岩が向かい合って居る大きな岩は少し肩を落とし前の岩に何かを語りかけて居るのか叉そっと其の前の岩を見守っているようにも見える。
其の二つの岩には大オガミ岩.小オガミ岩と言う名が付けられている
誰が何時付けたのだろうか分からない何れにしても古人たちが何かを拝み奉っていたのだろう?
私の遠い記憶の中に(旧い漁師さんの話)薄っすらと覚えている弁慶と言う字.田辺にも弁慶が居るけど.串本にも居るぞ.
其の時は何も思わなかったし興味も無かったので気にもして居なかった
長い年月がたって.漁師さんも亡くなった.それから私は串本にはダイビングとか仕事でよく行く
其の度に橋杭には良く立ち寄る。其の度に一番気になるのは
大オガミ岩.小オガミ岩この二つの岩です。
じっと見ていると何か違う.大きな岩が二つ向かい合っているだけでは無。.じっと見ていると其の岩
は人を引き付ける.何かがある.いつもその様に思いながらも.それが何かも分らない。
そんなある時に.串本にも弁慶が居るぞこんな言葉が頭をかすめた.。. ..
そうか弁慶さんか。違いない古人たちもきっと弁慶さんを拝んでいたのだろう?
そして向き合っている岩はきっと静御前.あの吉野の極寒の地で寒さで苦しんだ静かさまを弁慶は見るに見かねてこの黒潮の暖かい海にお連れしたのだろう
ではどうして橋杭なのか。
弁慶の父は誰もが知る有名な熊野水軍の統率者である湛増だと言われている
叉串本町古座の九龍島に水軍の根城が有ったとされており弁慶はこの付近の海は知り尽くしていたのだろう極寒の吉野山で夢見た海はやはり本州最南端のこの串本の暖い海に静様をお連れすことだったのだろうそしてこの二つの岩に其の魂を移したに違いない。
弁慶は僧でもあり.勿論弘法大師縁のこの岩に大師の導きがあったのだと言うのは疑う余地も無い。
静さまも後には尼になり余生を送ったとも伝えられている。
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